二重スリットの実験に関するファインマンの思考実験と波動性
「ファインマン物理学X量子力学」(岩波書店)の中でファインマンは電子で行う二重スリットの実験の思考実験を行っております。
ここでファインマンは、以下のような実験装置を考えます。
電子銃の前方には一つの壁(薄い金属板の)がおいてあり、それに二つの孔があいています。その壁の向こう側にはもう一枚の壁があって、それは“止め板”の役目をします。止め板のすぐ前には、可動検出器を設置しておきます。この検出器は(われわれが方向としてえらんだ方向に)前後に移動させることができます。
この思考実験で注意すべき点は、検出器が可動式であるということであります。一個の検出器を前後に移動させて電子の到着を検出するということであります。これは、大量の検出器をスクリーン上にまんべんなく設置して電子の到着を検出するということとは異なる、ということに注意しなければなりません。
この条件においては、波動性のみで、スクリーン上で観測される粒子状のものを説明することができます。
検出器が可動式であるため、スクリーン上で観測される「点」の位置が決まります。観測される「点」が決まりますと、光源(スリットの孔)と観測点の局在条件により、「観測装置と光源との方向が決まる」という過程を経て、包絡線がの波束が出てくるからです。
この波束は、あたかも粒子状のものに見えます。
計算は以下の通りです。
(自由電子の運動エネルギー)としますと、波数が連続的な分布をしている場合にはフーリエ変換を使って、検出器に到達する電子の波動関数は、
と書けます。いまの場合、波動関数は球面波の一部分ですので、は、のまわりに幅の拡がりを持つものと考えられます。(はスリットの孔と検出器で決まる方向を表します。)
より、
となって、包絡線が
の波束が出てくることになります。
この包絡線は、程度の拡がりを持っています。
ちなみに、
ですので、包絡線は
、
となります。
包絡線がで群速度がの波束ということになります。
いかにも、電子に見えませんか。
そして、この波束が、スクリーン上で観測される輝点であると私は思います。あくまでも波でありまして、電子などという粒子が存在するのではないと思います。
ここで、光と自由電子の類似性を指摘しておくことは有効です。
高い煙突には、航空機などに警告する意味で、例えば一秒おきにフラッシュライトが点滅しています。
遠くからこの煙突を見ているところを想像してください。
この点滅するフラッシュライトを見ているとき、網膜上には一秒おきにフラッシュライトの点が結像します。(焦点ではなく像面に結像します。つまりこの点はレンズによって集光された点ではありません。)
みていない時にはもちろん結像しません。
煙突から私の眼に届くまでの間は、波の形で伝播していますが、網膜上に結像する時は点として結像します。
網膜上のフラッシュライトの点は、見ている時にだけ存在しているわけです。
この時レンズが存在するかしないかは本質的な問題ではありません。レンズがないピンホールカメラでも結像するからです(下図参照)。
コペンハーゲン解釈(波動関数の確立解釈)では、電子は観測している時だけ存在していると言われています。
電子は観測している時だけ存在しているというのは、ある意味、このフラッシュライトの点が、見ている時にだけ網膜上に存在しているのと似ています。
電子もフラッシュライトと同じように、観測されていない時には、波として伝播しています。そして観測された時、そこにある意味、結像(波束化=ウェーブパケット化)するわけです。
電子も実はそんなものなのかもしれません。
電子の波を確率の波と考えるよりも、光の波の結像する仕組みと同じように考えたほうが自然のような気がします。
光の波の結像の仕組みを論ずるとき、その波を確率の波だなどとは考えませんからね。
レンズの例
ピンホールカメラの例
レンズの例で光源が無限遠にある場合