更なる探求の部屋

2006/11/5 なにかが足りない。
株の理論と量子力学を比べてみるのは興味深いことです。 

株の理論:dS = μdt + σdW 
(Sは株価、μはトレンド、σはVolatility、Wは標準ブラウン運動) 
非相対論的量子論:dx = vdt + √(m/h)dW 
(xは位置、vは速度、mは質量、hはプランク定数) 

ある会社の株のチャートを広げてみて、そのチャートにトレンド線を記入してみてください。トレンド線とは、株価の大雑把な動きを示した直線です。「この一週間は上昇基調だった」などということをこのトレンド線で見ることができます。 
このトレンド線で、大雑把な株価の動きがわかります。 
dS= μdt 
と言う具合に。 
そしてこれは、ニュートン力学に対応します。 
dx = vdt 
よく知られた位置と速度の関係です。 

しかしこれでは、ブラウン運動項が無視されています。 
株価はトレンドだけで予想したのでは、荒い近似で、ボラティリティーまで考慮すると、より精緻になります。 
株価はトレンド線の上下にふらふらとふらつきながら実際は動いています。いわゆるロウソク足で、株のチャートは記述されています。一日の中でも高値と安値があり、終値はいくらだったと言う一日の中でのふらつきです。ボラティリティーが高い日はロウソク足が長くなりますし、ボラティリティーが低い日はロウソク足が短くなります。 
これを標準ブラウン運動と言うモデルで近似します。 
dS = μdt + σdW 
と言う具合に、トレンド項に標準ブラウン運動項を付け加えることによって、株価の予想はより精緻になります。 

物理に戻り、位置の予想も、標準ブラウン運動項を加えることによってより精緻になります。 
dx = vdt + √(m/h)dW 
です。つまり、ニュートン力学から量子力学へパラダイムシフトしたわけです。 

しかし実際の株価は、ただ単に飛び飛びの点で表されているのです。需要と供給のバランスで、値がついた時刻の株価を次から次へとプロットして行ったものが実際の株価です。 
トレンドだけでは正確な株価は表せませんし、トレンドとロウソク足だけでも正確ではありません。実体の飛び飛びの点は表せていないわけです。 

量子力学でも、 
dx = vdt + √(m/h)dW 
で求まるのは、到達する位置の可能性つまり分布だけです。 
これは、トレンドとロウソク足で株価チャートを見ていることにほかなりません。 

実際の株価は、飛び飛びの点の集合です。 
二重スリットの実験でスクリーン上に観測されるのも、飛び飛びの点の集合です。 

実際の株価を決めているのは需要と供給のバランスです。トレンドでもボラティリティーでもありません。トレンドやボラティリティーとは過去の事実から経験的に求められたもので、未来の株価を予測するための道具に過ぎません。 

量子論も、このトレンドとボラティリティーから未来の位置を予測しているに過ぎません。つまり量子論とは未来を予測するための道具に過ぎないのです。 

物理学には何かが足りないような気がします。 
実際の位置を決めている何かが足りないのです。 
株価における需要と供給のような何かが。 



2006/11/5 物理は自然を記述していない(隠れた理論の可能性)
株価のトレンド(上昇基調か下降基調か)とボラティリティー(市場の荒れ具合)から確率微分方程式を立てることにより、明日の株価がいくらからいくらの範囲に入り、いくらになる確率が最も高いかを予想することができます。今日850円だった株価が、明日は847円から856円の範囲に入り、853円になる確率が一番高いと言った具合に。 
しかし、このように明日の株価を予測する理屈と、昨日の10時25分の株価が849円であった事を説明する理屈はまったく異なったものです。昨日の10時25分の株価が849円であったのは、そのときに買い注文が何株あり、売り注文が何株あって、買い板と売り板がどのようなバランスにあったかということが原因になっていて、トレンドやボラティリティーとはまったく関係ありません。 

これを量子論の二重スリットの実験に置き換えて考えてみましょう。 

量子論では、これから光源を出ようとしている光子が二重スリットを通過して反対側のスクリーンのどの場所からどの場所の範囲に到達し、どの部分に到達する確率が高いかと言うことは論じることができます。 
しかし、既にスクリーンに到達した光子が何故右上で観測されたのかや、次の光子が何故左下で観測されたかを論じることはまったくできないのです。 

例えてみれば、量子論では明日の株価はある精度で予想できるものの、昨日の株価が何故849円であったかをまったく論じることができないのです。 

明日の株価を予想するためには、トレンドとボラティリティーが必要でしたが、昨日の株価を実際に決めたのは、需給のバランスです。 

未来の粒子の位置を予想するために量子論は機能しますが、既に観測された粒子の位置が何故そこなのかについて、量子論は何もいえません。 

未来について量子論は、ある範囲で言葉を有しておりますが、過去に既に起こった事実については量子論は何一つ言葉を有していないのです。 

物理学は自然を記述する理論であると私は思い続けてきましたが、物理学は自然を予測する学問に過ぎなかったのです。 
過去に起きてしまった事実については、物理学は何も言えていないのです。 

過去に起きた事実が何故そのような事実だったのかを説明する学問が必要かもしれません。 
物理学以外に自然を記述する理論が必要かもしれません。 

トレンドとボラティリティーで明日の株価は予想できるものの、実際に起こった株価は予想した値と異なることはしばしばです。そして実際の株価はその時の需給で決まります。 

量子論で粒子の到達する位置はある程度予測できますが、実際にスクリーン上に到達した位置は、何で決まったのでしょうか? 

物理学の中にはそれを説明する理論がありません。 

明日のことは物理学である程度予測できますが、昨日起こったことは、物理の法則で起こったのではないのです。 
過去の経験は、物理の法則の外側で起こっていたのかもしれません。 

物理学で自然を説明できるなどと考えていた私は、おごりたかぶりでした。物理学は自然の本質などは何も説明していません。過去に起こった出来事に法則性を見つけ、未来の傾向を予測する学問に過ぎなかったのです。 

実際に起こった出来事は、この物理の法則とまったく別なところで起こっていたのでしょう。 

物理学は言ってみればトレンドとボラティリティーで未来の株価を予測するだけの学問です。 
実際の株価を決めているのは、需給です。 

実際の粒子の位置を決めていたのは一体どんな法則なのでしょうか? 

物理は自然の記述を半分しかしていないことになります。 
未来の予測だけです。 
過去の事実は物理では説明できないのです。 

ニュートンやアインシュタイン、ボーアやハイゼンベルグ、ディラックやファインマンといった物理学者が脈々と物理学を築き上げてきましたが、その物理学でさえも、これから電子銃を出発しようとしている電子が、テレビのブラウン管上のどの場所に行く可能性が高いかは説明できるものの、テレビのブラウン管の右上に何故電子が到達したのかは、全く説明できないのです。 

株の需給のような隠れた理論がまだあるのでしょうか? 



2007/2/4 波でも粒子でもない何か
「経路積分に見る波動性と粒子性の二重性、そしてより根源的な存在」の中で、波動性と粒子性は矛盾なく相容れるものであることを証明してみました。
これが、どういうことなのかを考えてみます。

これは、この世が波であると同時に粒子でもあるということなのでしょうか。

私はそうではないと考えています。
私は、この世が波でもなく粒子でもない何かなのだと考えます。
つまり、この世は粒子でもなく波でもない何かなのだけど、モデル化してみると、波動のようにもモデル化できるし、ブラウン運動する粒子のようにもモデル化できる、ということなのだと考えています。

これは、株価と比較してみるとわかりやすいです。
株価のチャートは、フーリエ変換することができます(これは私も最近知ったのですが)。
株価のチャートをフーリエ変換してみますと、長い周期の波や短い周期の波といった様々な波の重ね合わせで表現することができます。そしてそれぞれの波ごとに振幅が異なり、最も寄与度の高い波が、一番大きな振幅をもっています。

一方で、ブラックショールズ式で株式オプションの理論価格を求めるときは、株価の動きをブラウン運動と仮定すると、かなりよい近似となることも知られています。

しかし、よくよく考えてみれば、株価の動きそのものは、波動でもないし、ブラウン運動しているわけでもありません。株価の動きを波動の重ね合わせでモデル化することもできるし、ブラウン運動でモデル化することもできるということに過ぎません。

実際の昨日の株価の終値は、株式市場に参加している人たちの需要と供給で決まったのです。
明日の株価の始値は、明日の朝株式市場に参加する人たちの需要と供給で決まるのです。

さてこの世の話に立ち戻り、この世も、経路積分を使うと波動でモデル化できます。時間を虚数にしてみますと、ブラウン運動でモデル化できます。
経路積分とは、波動の重ね合わせとしてのモデルです。そして経路積分で時間を虚数にしてみますと、ブラウン運動する量子力学的粒子としてモデル化できます。
波動でもモデル化でき粒子としてもモデル化できる、つまり二つのものでモデル化できるということはさらに根源的な何かが存在しているのではないでしょうか。その根源的な何かをこちら側から見ると波動としてモデル化でき、あちら側から見ると粒子としてモデル化できるといった感じです。

これは波や粒子でモデル化できるということだけであって、この世の本質は波でも粒子でもない何かなのではないでしょうか。

波なのか、粒子なのか、という二者択一の問いにはもはや意味がありません。
波であり同時に粒子であるという答えも正確ではありません。

波としても粒子としてもモデル化できる、さらに根源的な存在を探し始める時が来たように思います。









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