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先週の日曜日に、等々力不動に行って、明恵上人についての講座を聞いてきました。
ハーバード大学教授の阿部龍一先生(実は、満願寺貫首阿部龍文師の長男だった。等々力不動尊は満願寺の別院である)の講座です。
以下は、その講座からのメモです。
空というと、ニヒリズムに陥ってしまいがちなので、華厳では、空と言わず、縁起といったのだそうです。
華厳では、まず関係性が先にあるということが強調されるのだそうです。
華厳経の中の梵網経に、帝釈天の世界には帝網(たいもう=インドラネット)という網が、はりめぐらされているとかかれているそうです。
私たちはお互いに、蜘蛛の巣の糸のように見えない糸で結ばれていて、その結び目はすべてを照らして互いに映しあう水晶の宝珠でできているといわれています。
ひとつの宝珠が鈴のように鳴り響くと、それに応えるかのように結び合う帝網が共鳴し、鈴の音が次々と鳴り響き、宇宙の妙なる交響曲を奏ではじめるのだそうです。
華厳経の最後の部分に「入法界品(にゅうほっかいほん)」というものがあるそうです。「入法界」とは、法界つまりさとりの世界に入ることを意味しているそうです。「入法界品」では、善財童子(ぜんざいどうじ)という名の道を求める青年が登場し、55人(数え方によっては53人)もの多くの善知識(善き師、善き友)を歴訪して教えを聞き続けていきます。
第53番目の善知識、弥勒菩薩が善財童子と語り合う場面では、善財童子は無数の聖者の教えを受けて、最後に弥勒菩薩のところへ往詣した時に、ついに金剛法界に入る道を教えられました。
善財童子は言いました。
「どうか大楼観の門を開いて、入らせてください。」
弥勒菩薩はこたえました。
「今ここ、大楼観に入りなさい。」
その時、弥勒菩薩は、拇指と人差指とをつまむ形をして弾かれますと、その音と同時に、楼観の門は自然に開いて、善財童子は、すでに今ここ、大楼観の中にいる自分を見出したのです。
大楼の扉が開くと、その中には無数の大楼が、合わせ鏡をしたときのように幾重にも見えるのです。そしてその無数の大楼の中には、また無数の善財童子自身が見えるのです。
善財童子は、弥勒菩薩の大楼観に入って、ミクロからマクロへの様々な階層の宇宙を見て、知るのです。
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「個」に対する記述が、あるいは、「個」の存在が、その関係性の中にしか存在し得ないことを、井筒俊彦は仏教思想を用いて上図のように紹介しています。これは、華厳哲学の「縁起」を図示したものですが、図中の「A」は他のB,C,D,・・・・全ての関係性の中にのみ存在し、「AとKの関係」も他の全てのものとの関係性の中にのみ存在しています。
(「事事無礙・理理無礙」『コスモスとアンチコスモス』(井筒俊彦)
この絵を見た時、感動しました。
この絵は秀逸です(Aとは左上の円形部分、Kとは右下の円形部分。見にくくなって恐縮です。)。
次の引用は、上図をさらに巧く解説した「ユング心理学と仏教」(河合隼雄)からとったものです。
「ユング心理学と仏教」(河合隼雄) p.144−1行目〜15行目
まずはじめに、華厳哲学における存在論的関係性という考えを紹介しましょう。A、B、C、D...の個々のものは自性はなくとも関係はあります。従って、Aというものの存立にはB、C、D...とすべてのものがかかわっているわけです。つまり、それぞれが互いに関係しており、その全体関係性を無視しては何も存在し得ないのです。それを井筒博士は、図27に示すように、うまく視覚化して明らかにしています。これは、あくまである一瞬の図で、時間と共に何か動けば、その関連によって、すべてが変わることになります。
このように考えると、Aというものは自性をもたなくとも、他の一切のものとの相互関連においてAであるわけです。つまり、Aの内的構造の他の一切のものが隠れた形で含まれている、ということができます。そして、そのような関連性によって、AはAであり、BでもCでもない、ということになります。「一物の現起は、すなわち、一切万法の現起。ある特定のものが、それだけで個的に現起することは、絶対にあり得ない。常にすべてのものが、同時に、全体的に現起するのです。事物のこのような存在実相を、華厳哲学は『縁起』といいます。『縁起』は『性起』とならんで、華厳哲学の中枢的概念であります」。
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7月2日の日記記事で、ウェイターの持つお皿に例えて「スピノール」のお話がありました。興味がありましたので色々検索しました中に、「ツィスター理論を目で見る」というのを見つけました。
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1253/tuistor.html
現された「図」のほうがきれいで気をとられて、説明の方は難しくてさっぱり解りませんでしたが、何故これが宇宙すべての繋がりを表している「図」になるのでしょう。
この図一つ一つの集まりが、各々が繋がり存在している華厳経に示されているところの世界になるのでしょうか。
どの様にイメージすればよいのでしょう。
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というご質問をいただきました。
ツイスター理論は、正直まだ、私自身理解が十分に及んでおりませんが、以下のようなお答えをして見ました。
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ツイスター理論は、量子論と相対論をつなぐ、量子重力場理論の一つとして超ひも理論と並んで有望視されているようです。
スピノールのイメージは、ばね秤のばねや、ワインの栓抜きのイメージです。
螺旋です。
私たちを作っている電子は、このワインの栓抜き1つでできています。
そして、光子は、ワインの栓抜き2つでできているのです。
重力の元とされる重力子は、ワインの栓抜き4つでできています。
ツイスター理論を提唱したペンローズは、時間や空間もこのワインの栓抜きでできていると考えたようです。時空が究極的な根源的な存在ではなく、その時空も、さらに根源的なスピノールつまりワインの栓抜きでできていると考えたわけです。
彼によれば、時間や空間は、このワインの栓抜き、あるいはばねのネットワークでできているとの事です。ノードとリンクでできているらしいのです。
リンクがワインの栓抜きやばねのイメージです。
華厳経の中の梵網経に、帝釈天の世界には帝網(たいもう=インドラネット)という網が、はりめぐらされているとかかれているそうです。
私たちはお互いに、蜘蛛の巣の糸のように見えない糸で結ばれていて、その結び目はすべてを照らして互いに映しあう水晶の宝珠でできているといわれています。
ひとつの宝珠が鈴のように鳴り響くと、それに応えるかのように結び合う帝網が共鳴し、鈴の音が次々と鳴り響き、宇宙の妙なる交響曲を奏ではじめるのだそうです。
ノードは、結び目の水晶の宝珠に対応し、
リンクは、蜘蛛の巣の糸に対応するような感じです。
但し蜘蛛の巣の糸は、線状に伸びているのではなく、ばね秤のばねのように螺旋状に伸びているわけです。
私自身はこのようなイメージを持っています。
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(注)スピノールにつきましては、「相対論的電子場の方程式(Dirac方程式)」と「Dirac方程式の伝播関数」のページを参照。
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「料亭「小雪」の女中二人に、東京駅の13番線で見送られていた機械工具商会を経営する安田辰郎。三人は、向かいの15番線に同じく「小雪」で働くお時が男と夜行特急列車「あさかぜ」に乗り込むところを見つける。だが数日後、お時とその男・佐山は、香椎で死体となって発見された。
一見ありふれた情死に見えたが、博多のベテラン刑事・鳥飼重太郎は、佐山が持っていた車内食堂の伝票から事件の裏の真相を探るため、一人捜査をすることにする。」
ご存知、松本清張の「点と線」である。
この宇宙にはA面とB面があることを、以前の日記「2006/7/9 宇宙の表(おもて)面と裏面」の中でお話しましたが、この宇宙には、どうも三番目のC面まであるようです。
A面は、よくご存知の私たちが住んでいる時間と空間の「時空」、B面は、エネルギーと運動量でできている「エネルギー運動量空間」です(A面とB面はフーリエ変換で結びついています。)。
そしてC面とは、ツイスター空間です。このツイスター空間は、二つのスピノール(双スピノール)μとλで構成されるツイスター座標ξ=(μ,λ)で規定されます。
私たちの時空と、ツイスター空間とには、面白い対応関係があります。
私たちの時空での光が進む光線は、ツイスター空間では点で表されます。
逆に私たちの時空上の点は、ツイスター空間では線で表されるのです。
時空の線はツイスター空間の点、時空の点はツイスター空間の線に対応します。「点と線」の関係です。
ソニーの井深大氏は、よく「デカルトを超えよ」と言っていたそうです。
デカルト座標上の点はツイスター空間の線で表されるということにロジャーペンローズは気づきました。
宇宙の仕組みの探索を得意とするペンローズ刑事が、ひとり孤独に捜査を続け、真犯人に迫った瞬間でした。
デカルト座標(私たちの時空)上の電磁場や電子場は、エネルギー運動量空間上の場と、フーリエ積分(フーリエ変換)で結ばれていますが、
デカルト座標(私たちの時空)上の電磁場や電子場は、ツイスター空間上の場(ツイスター関数)と、周回積分で結ばれています。
ツイスター座標上に記述されるツイスター関数を周回積分すると、私たちの時空上のスピノール場になります。
電磁場や、質量のない電子場(ディラック場でm=0としたワイル場)は、無質量自由場の方程式を満たし、この解はスピノール場になりますので、無質量自由場(これはスピノール場であるが)は、ツイスター空間上のツイスター関数を周回積分することによって、一般的に求めることができます。
そして、デカルト座標xはツイスター座標ξ=(μ,λ)と、μ=ixλという関係で結ばれています。
つまり、私たちの時空上の点は、二つのスピノールで表されます。
電磁場(光)、Klein-Gordon場(π中間子)、ディラック場(電子、陽子、中性子)は、時空の上に記述される「場」でありましたが、場のみならず、時空そのものがスピノールで記述されるというのは、大変興味深い事実です。
スピノール、それは2回転させると元に戻る構造、そしてそれは何かに繋がっているという構造なのです。
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●「ローレンツ変換は、次元数の違うことと、実の関係ではないことを度外視すれば、ユークリッド幾何学における併進および回転変換と同一である。」相対論の意味(アインシュタイン著、岩波書店)p34より抜粋
●特殊相対性理論では、光速に近付くと、長さは縮むと言われますが、厳密に言うと、回転してねじれるということを意味しています。立方体が目の前を通過する時、低速では側面だけが見えますが、光速に近付くと、側面のほかに、後ろの面が見えてきます。これは、ねじれてくることを意味します。
●スピノール場の伝播は、並進と空間回転である(螺旋運動)。
●Dirac方程式(スピノール場の方程式)は、波動方程式の平方根を取ったものである。
●波動方程式
波動方程式は、双曲型偏微分方程式と呼ばれる。
●一方、シュレディンガー方程式は、放物型偏微分方程式である。
時間に関して一階の複素偏微分方程式のため、その解は、三角関数(e^ix = cosx + isinx )のかたちになる。
●ローレンツ変換の不変量は世界線の長さ
s^2 = x^2 + y^2 + z^2 - t^2
である。
時間がマイナスで入ってくる(ピタゴラスの定理で、t → itに置き換えることに相当)。
●経路積分と統計力学
経路積分で時間をt → itに置き換えると統計力学になる。
●円の式
x^2 + y^2 = 1
●双曲線の式
x^2 - y^2 = 1
yがマイナスで入ってくる(円の式で、y → iyに置き換えることに相当)。
●三角関数
e^ix = cosx + isinx → (cosx)^2 + (sinx)^2 = 1
●双曲線関数
e^x = coshx + sinhx → (coshx)^2 - (sinhx)^2 = 1
●三角関数と双曲線関数との関係
coshx = cos(ix)
sinhx = -isin(ix)
三角関数で角度を虚数にする(x → ix)と、双曲線関数になる。
●ユークリッド幾何学とロバチェフスキー幾何学
●ロバチェフスキー幾何学
双曲幾何学ともいう。
●ロバチェフスキー幾何学とエッシャー
エッシャーの「円の極限」はロバチェフスキー幾何学で描かれている。
●双曲幾何学の物理的意味
物理学的な双曲幾何学によりこれを現実の世界に応用することができる。 高速で回転する円盤上ではローレンツ収縮により物体の長さが縮む。このとき円盤の中心から遠ざかるにつれて回転速度が速くなるため、端に行くほどローレンツ収縮の効果が強く出ることになる。このような場合では二点間を結ぶ最短距離は(円盤の直径をのぞいて)回転の遅い中心よりの線になり止まった状態の円盤から見ると曲線になる。つまり高速で円盤を回転させたために直線が曲がり3次元の空間が負の曲率を持ったのである。
●エッシャーの「円の極限」
エッシャーの作品「円の極限 I」をよく見ると、魚の背骨を結ぶ線は、いずれも円周に直交する円弧で構成されていることがわかるでしょう。
三角関数⇔双曲線関数
ユークリッド幾何学⇔ロバチェフスキー幾何学(双曲幾何学)
量子論⇔相対論
の関係が気になっています。
ツイスターってこんなイメージなのではなかろうか?
私たちの時空は、こんなもので出来ているのであろうか?
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この写真、球の中で一段と光っている白い点六個で作られる六角形に注目してください。この六角形をよく見ていると、歪んだ立方体に見えてきます。まるで、相対論で目の前を通過してゆく歪んだ立方体のような。
螺旋の交点で、時空の点が定義されている?
ツイスターの交差によって、時空の点が定義される?
ツイスターには、正、負、ゼロのヘリシティーがあります。
ヘリシティーとはねじれの度合いを表します。
ヘリシティーがゼロのツイスターは、光線そのものです。
正のヘリシティーは右巻き、負のヘリシティーは左巻きです。
中心から放射状に拡がる直線と、左巻きと右巻きの曲線。
この写真には、この三つのヘリシティーが全て表現されていることになります。
空間が三次元なのは、ツイスターに三つのヘリシティー(正、負、ゼロ)があるからなのか?
歪んだ立方体の縦、横、高さが、それぞれ、中心から放射状に拡がる直線と、左巻きの曲線、右巻きの曲線に対応していることがわかります。
そして、中心から離れるほど歪んだ立方体は大きくなってゆきます。これが時間の経過に対応するように見えます。
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*************** 創世記 **************
1 初めに神は天と地を創造された。
2 さて,地は形がなく,荒漠としていて,闇が水の深みの表にあった。そして,神の活動する力が水の表を行きめぐっていた。
3 それから神は言われた,「光が生じるように」。すると光があるようになった。 4 そののち神は光を良いとご覧になった。そして神は光と闇との区分を設けられた。 5 そして神は光を“昼”と呼ぶことにし,闇のほうを“夜”と呼ばれた。こうして夕となり,朝となった。一日目である。
6 次いで神は言われた,「水の間に大空が生じ,水と水との間に区分ができるように」。 7 そうして神は大空を造り,大空の下に来る水と大空の上方に来る水とを区分してゆかれた。そしてそのようになった。 8 そして神は大空を“天”と呼ぶことにされた。
こうして夕となり,朝となった。二日目である。
・・・・・・
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時空はツイスターでできている。
ツイスターは二つのスピノールでできている。
光は二つのスピノールでできている。
創世記が正しいとすれば、神はどうもスピノールを創り忘れたようである。
天地や光より前に創らなければならなかったはずである。
光は、三種類のツイスターのうちのひとつに過ぎませんし、そのツイスターもスピノールという数学的構造をもつ波からできているのですから。
バチカンが信じさせようとしている「書物の中に出てくる神」が、一番最初に作ったものには、実は材料が存在していたことになります。
バチカンが信じさせようとしている書物の中に出てくる「神」は、すべての創造主であるにもかかわらず、原料をどこかからこっそりと仕入れてきているわけです。
まっ、数千年前の人々が考えた宇宙観ですから、光が根源だと気づいたこと自体あっぱれではあるのですが、モデルとしては正しくありません。
スピノールは何かに繋がっていることを表す数学的構造ですから、関係性をより重要視した仏教の縁起のほうが、優れた宇宙観なのかもしれません。
私は宗教を比較できる立場ではありませんが、仏教的宇宙観のほうが丁寧であるような印象をもっています。
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2006/9/23 ラインの光、とコイルのスピノール。
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4の平方根が±2であるように、光の平方根という概念があります。
この光の平方根がスピノールです。
電磁場(光)の方程式の平方根をとると、スピノール場の方程式になります。
平方根をとる前がラインで、平方根をとるとコイルになります。
あるいは、コイルを二乗するとラインになるというイメージです。
ラインというのは、実は骨格だけの動きを見てそういっているのですが、イメージとしてはピエロの帽子のような円錐があった時、帽子の頂点から順番に輪切りにしてゆくと、小さい円盤から大きい円盤までが並びます。
この円盤の中心を結ぶとラインになります。(ミンコフスキーの光円錐と言ったほうが分かりやすいでしょうか。)
一方、コイルというのは、巻貝の成長のイメージなのですが、子供のころの巻貝の入り口は小さな円ですが、成長するに従って入り口は大きな円になります。
この円の中心を結ぶとコイルになります。さざえのつぼ焼きで、ひねらないと身が出てこないようなものです。
そして、この小さな円から大きな円への動きが、時間の流れで、光の場合は、池の波紋のように同心円状(ほんとは四次元なので同心球状)に広がってゆきますが、スピノールの場合は、巻貝のようにツイストしながら広がってゆく形になります。(ミンコフスキーの光円錐をねじったようなもの。)
右巻きの巻貝と左巻きの巻貝をかけあわせますと(交尾させるという意味ではない)、巻きがない貝が生まれるわけです。
先ほどは簡単のために、コイルを二乗するとラインになると申しましたが、スピノールは複素数の世界ですので、正確に申し上げますと、複素共役をとって掛け合わせることになります。
右巻きスピノールの複素共役をとりますと左巻きスピノールになりますので、右巻きスピノールと左巻きスピノールをかけあわせますと、巻きなしスピノールつまり光が生まれるわけです。
(物理的には、ディラック方程式の演算子と、それの複素共役をとったものを掛け合わせると、波動方程式の演算子(ダランベルシアン)になるということです。複素共役をとると言いましたがもっと正確には、回転の符合を変え、並進の符合も変えるということです。)
例の美しい万華球の写真で、北極から赤道方向に伸びる三本の隣り合った経線(地球の経度に相当する線)と、三本の隣り合って巻き上がる螺旋と、三本の隣り合って巻き下がる螺旋に着目してみてください。
よーく想像力を働かせながら、見ていますと、
北極から赤道方向に伸びる三本の隣り合った経線のなかに、拡大してゆく立方体が見えます。
また、三本の隣り合って巻き上がる螺旋の中に、ねじれながら巻き上がってゆく歪んだ立方体が見えます。これも赤道に向かうに従って拡大してゆきます。
さらに、三本の隣り合って巻き下がる螺旋の中に、ねじれながら巻き下がってゆく歪んだ立方体が見えます。これも赤道に向かうに従って拡大してゆきます。
さらに想像力を働かせて、これらの立方体に内接する球を想像してみて下さい。
見えましたか?この球が想像できたかどうかが重要です。
経線(地球の経度に相当する線)に沿って、拡大してゆくこの球面の動きが、光の波の伝播を表しています。(つまりミンコフスキーの光円錐の四次元版です。)
また、巻き上がってゆく螺旋に沿ってツイストしながら拡大してゆく球面が、右巻きスピノールの波面の伝播を見事に表しています。
同様に、巻き下がってゆく螺旋に沿ってツイストしながら拡大してゆく球面が、左巻きスピノールの波面の伝播です。
あの写真はツイスターをイメージするために添付したものですが、スピノールの波の伝播をイメージするのにも大変役立ちます。
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万華球の中に見えるあの立方体は、おそらく時空でしょう。
相対論の歪んだ時空をよく表現していると思います。
三本のツイスター(経線、右回りに巻き上がってゆく線、左巻きに巻き下がってゆく線)が空間の縦、横、高さに対応しているように見ています。
四本のツイスターあるいはスピノールからなる無限の格子が宇宙に張りめぐらされていると想像しました。
天井や壁がツイスターでできているツイスターローラーコースターに乗って、渦を巻く時間の中を突き進んでゆくのが私たちの時空であると想像しました。
また、あの図では、ツイスター一本が隠れていると想像しました。
北極から赤道に至る経線は、一本に見えますが、実は二本あると。
これは四次元立方体を描いてみて、それを回転させてみると分かるのです。
経線は、円弧に見えますが、実は、二匹の蛇が絡み付いているようになっています。
サインカーブとコサインカーブを一緒のグラフに書いたようになっています。
仏教の示すところによれば、一点の雫にも宇宙が宿り、過去も未来もその中に折りたたまれていると言うことです。
華厳経の宇宙観です。
見えていませんが、あの万華球の南極はどうなっているのでしょうか。もし北極と同じようになっていたら。。。
あらゆる空間が最終的に一点に畳み込まれるのでは。。。怒涛のごとく渦の中に。。。まさに一滴の雫に宿る全宇宙。
そんな想像までしてみました。
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2006/9/23 二つのスピノールと、電子、陽電子をイメージする。
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ワインの栓抜きを持ってきてください。目に刺さらないようにとがったほうを手前に向けて巻き具合を見てみますと、手前から奥に右巻きつまり時計回りに巻いていると思います。
この栓抜きを使ってワインのコルクを抜く時のことを考えてみましょう。
@まず、栓抜きをコルクにさして、手を外向きにひねりながらコルクに栓抜きを差し込みます。
Aコルクをビンから抜いた後、コルクを握りながら今度は、手を内向きにひねりながらコルクから栓抜きをはずします。
世の中に、左巻きのワインの栓抜きがあったとします。(右巻きのものに慣れている私たちにはおそらくものすごく使いにくいでしょうが。)
この栓抜きの場合はどのように使うことになるでしょうか。
B栓抜きにコルクをさして、手を内向きにひねりながらコルクに栓抜きを差し込みます。
Cコルクをビンから抜いた後、コルクを握りながら今度は、手を外向きにひねりながらコルクから栓抜きをはずします。
使い慣れている右巻きのワインの栓抜きが、右巻きのスピノールです。上向きスピン、Upスピンのスピノールなどとも言います。
使いずらい左巻きのワインの栓抜きが、左巻きのスピノールです。下向きスピン、Downスピンのスピノールなどとも言います。
右巻きのワインの栓抜きが電子で、左巻きのワインの栓抜きが陽電子、では実は無いのです。
右巻きのワインの栓抜きのうち、@の状態、つまり差し込みつつある時の状態が電子(上向きスピンの電子)で、
Aの状態、つまり栓抜きをコルクからはずしつつある状態が陽電子(上向きスピンの陽電子)です。
物理的には同じ右巻きの栓抜きなのですが、コルクに対する進行方向と栓抜き自体の回転方向が異なります。
また、
左巻きのワインの栓抜きのうち、Bの状態、つまり差し込みつつある時の状態が電子(下向きスピンの電子)で、
Cの状態、つまり栓抜きをコルクからはずしつつある状態が陽電子(下向きスピンの陽電子)です。
陽電子を理論的に予言したのはディラックですが、ホイーラーとファインマンは陽電子について過激な解釈の仕方を提唱しました。
陽電子は「時間をさかのぼる電子である」と!。
過去から未来へ向かう陽電子は、未来から過去へ向かう電子とまったく同等なのです!
同じ右巻きのワインの栓抜きで、コルクに対する進行方向が異なる、というお話をしましたが、 これは時間に対する進行方向が異なっていることの喩えだったのです。
つまり光は、@(上向きスピンの電子)とC(下向きスピンの陽電子、あるいは下向きスピンの時間をさかのぼる電子と言っても良い)からできているのです(またはAとB)。
これが電子と陽電子の対生成、対消滅です。
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2006/10/15 実時間、虚時間と二重スリットの実験
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これまで時空は、縦、横、高さ、時間の4次元であると思い続けてきましたが、もしかしたら、時間には実時間とは別に虚時間があるかもしれません。
通常の時間と直角に交わっている虚数時間です。
(数学で複素数を、実数軸と虚数軸が直角に交わる座標上にプロットするように、虚数時間は実数時間と直角に交わっています。)
縦、横、高さの空間のなかを、事象は時間方向へ進んでゆきますが、同じ事象を、実時間方向と虚数時間方向から眺めることができます。
量子論の粒子性と波動性の相補性は、同じ事象をこのように実時間方向と虚時間方向から見たものとして解釈ができそうです。
実時間方向から見ると粒子に見える事象が、虚時間方向からは波動に見えるというわけです。
2006/9/16の日記でご紹介した例の万華球で、経線を時間に見立て、立方体が経線方向に移動してゆく(つまり空間が時間方向に移動してゆく)というお話をしましたが、あの万華球で経線を時間に見立てますと、経度0度の経線と、経度90度の経線は北極で直交しています(あの万華球では経線が16本ありますので、4本隣りの経線はもとの経線と北極で直角に交わっています)。
この経度0度の経線が実時間、経度90度の経線が虚時間ではないかと思いました。
そして北極という一点から球状に広がり、また南極という一点に収縮します。
では、実時間と虚時間のイメージをしてみましょう。
紙を正面から見ますと、縦と横に広がったものとして見えます。
視点をずらして側面から見てみますと、厚さのない線としか見えません。
正面から見ると二次元に見えていたものが、視点を90度ずらして側面から見ることにより、一次元になってしまいます。
例えば、正面から見た場合を虚時間方向、側面から見た場合を実時間方向、と考えることができます。
正面から見た場合には広がりがあったものが、側面から見るとその広がりがなくなります。
つまり射影されたということです。
言葉を変えれば、虚時間方向では広がりがあったものが、実時間方向では広がりがなくなる。
実時間方向で見えているものは、虚時間方向で行われていることの射影である、ということです。
例の万華球に立ち戻り、左に延びる経線を虚時間、真上に延びる経線を実時間と考えて見ましょう。
左に延びる経線に沿った立方体は、サイコロのようにしっかりとした立方体に見えますが、真上に延びる経線に沿ったものはサイコロをつぶした様に扁平な立方体に見えます。
虚時間に沿った立方体は、実時間に射影され扁平になってしまいます。
虚時間方向に沿った空間で豊かに繰り広げられている事象は、実時間方向に沿った空間では、影しか見えなくなってしまいます。
虚時間方向で豊かに繰り広げられている波動現象が、実時間方向に射影された結果、粒子にしか見えなくなっているような気がしています。
「ポテンシャルエネルギーと華厳構造」の中でご紹介したように、虚時間方向で記述される経路積分の波動関数は、実時間方向では統計力学に変換されます。
虚時間で記述される経路積分は波動現象を表わしています。
その時間を実時間に変換すると見事に統計力学になりますが、統計力学とは、ブラウン運動をする量子力学的粒子の統計的運動を表現したものです。
量子論における波動と粒子の二重性は、この虚時間から実時間への射影で理解すると分かりやすいような気がしています。
二重スリットの実験では、波動性のために干渉縞がスクリーン上に現れる一方で、スクリーン上の輝点(粒子性)はアットランダムに記録されます。このアットランダムさの原因が、ブラウン運動です。
虚時間の波動性と実時間の粒子性が、スクリーンの上で同時に観測されるわけです!
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