現象の現れる仕組み

 

あなたの周りに現れている現象は、「最小作用の原理」というものに従って現れているのです。

 

例えば、ポテンシャルVの中を運動している粒子の場合のラグランジュアン(エネルギーの次元を持つ)は、

ですので、経路積分は、

と書けます。ここで作用は、

       ...@

となりますので、これは汎関数と呼ばれるものです。汎関数とは、ある関数を完全に特定した時に決まる「数」のことです。例えば、ある曲線の下の面積は、ですので、この面積も汎関数です。関数を決めてあげると、面積という「数」が決まります。関数を変えてあげると、それに応じて面積も変化します。

従いまして、経路積分の中に出てくるもイメージとしては面積のようなものを考えてみればいいことになります。先ほどの面積の例でのに対応するものが、ラグランジュアン(エネルギーの次元を持つ)

です。@式によれば、この曲線の下側を時刻から時刻にわたって積分したものがですので、はまさに、この曲線の下の面積ということになります。さらに、ラグランジュアンは粒子のたどる経路の関数です。従いまして、粒子のたどる経路を一本決めてあげると、作用が一つの「数」に決まります。経路を変えてあげれば、それに応じて作用も変化します。

から点に至るある経路を一つ決めてあげると、作用という「数」が一つ決まります。

そして、この作用を位相(波が山になっているか、谷になっているかを示す数値)にもつ波を考えます(経路積分の中のがその波を表わしています。これは、とも書けます。)。つまり、経路を一つ決めてあげると、それに対応する波が一つ決まります。そして、点から点に至るあらゆる経路について、こうして作成した波をすべて足し合わせます。これが粒子が点から点に至る確率振幅であるとするのが、ファインマンの経路積分量子化の考え方です。

経路を少し変化させてみたときには、作用がかなり変化する場合もありますし、また異なった経路の変化のさせ方をした時には、ほとんど作用が変化しないという場合もあります。

つまり、経路を少し変化させただけでも波の位相が大きく変化して位相が反転する(山と谷がひっくり返る)こともあれば、経路を少し変化させた時にはほとんど波の位相が変化しない(山は山のまま)ということもあります。経路を変化させてみたとき波の位相が大きく変わってしまう場合には、それらの波は弱めあってしまい、結果その経路を粒子がたどる確率はほとんどなくなってしまいます。これとは反対に、経路を少し変化させてみたときに、波の位相がほとんど変化しない時は、これらの波は強めあい、結果この近辺の経路を粒子はたどることになります。

波の位相は作用でありましたから、作用が経路に対して極小値をとっていて、経路を変化させてみても作用がほとんど変化しない経路が、実際に現れる現象ということになります。

これを「最小作用の原理」と申しまして、背景の波の中から実際にどの現象が現れてくるかを決めている根本的な原理なのです。そしてこれこそがファインマンの経路積分量子化の真骨頂でありまして、量子論の意味していることを説明できた唯一の理論なのです。

ボールを投げると放物線の経路を描きますが、けっして放物線を描く経路だけをたどっているわけではないというわけです。ボールはピッチャーからキャッチャーへのあらゆる経路をたどっているわけですが、それぞれの経路に割り当てられた波を足し合わせた結果、放物線を描く経路だけが現象として現れている(残っている)と考えなければならないのです。

 

 

場の量子論への拡張

 

これまでの議論は、粒子が経路を描いて飛んでゆくといったものを説明するいわゆる「量子力学」のお話でしたが、光などを考える時には電磁場などというように「場の量子論」にこのお話を拡張する必要があります。

しかし、それほど難しいお話ではありません。それには、いままで経路といっていたものを場の量に置き換えて考えればいいのです。例えば、電磁場の場合には、

経路をベクトルポテンシャルやスカラーポテンシャルに置き換えて、

という経路積分を考えてみればいいのです。

先ほどの「量子力学」の経路のお話の中では、点から点に至る経路について考えましたが、今回の「場の量子論」では、場の量を考えます。

例えば粒子と電磁場の相互作用を考えた場合、作用は、

となります。

先ほどの「量子力学」の場合は、ラグランジュアン

の曲線の下側を時刻から時刻にわたって積分したものがでしたので、は、この曲線の下の面積というイメージでした。

今回のでは、ラグランジュアン密度の

は時空上の超曲面ですので、作用は、この超曲面の下側の「体積」をイメージするのがいいでしょう。

時空を東京ドームのグランドとすれば、

は、ドームの幕天井です。この幕天井は、場の量の関数です。

そして、は、ドームの体積、ドーム一杯分を表わしています。

幕天井を膨らませたり縮ませたりすると、ドームの体積は変化します。

幕天井は、の関数でしたので、場の量を変化させると、作用も変化します。

幕天井の形状を一つ決めてあげると、東京ドームの体積は一つの「数」に決まります。

つまり、場の量を一つ決めてあげると、作用も一つに決まります。

そして、先ほどの「量子力学」の時と同じように、この作用を位相(波が山になっているか、谷になっているかを示す数値)にもつ波を考えます。つまり、場の量(ドームの幕天井の形状)を一つ決めてあげると、それに対応する波が一つ決まります。そして、あらゆる場の量(あらゆるドームの幕天井の形状)について、こうして作成した波をすべて足し合わせます。これが実際に我々が目にする場の確率振幅であります。

東京ドームの幕天井はドームの建物の周囲に固定されていますので、それを境界条件にして、大きく膨らませたり、縮めたりすることが出来ますが、幕天井を建物から引き剥がすことは出来ません。先ほどの「量子力学」の時は、点と点を固定して、その間の考えられうる全ての経路について考えましたが、「場の量子論」では、幕天井の周囲を固定し、さらに初期状態と終状態の幕天井の形状は固定した上で、その境界条件のもとで、考えられうる全ての幕天井の形状について考えることになります。

時空を東京ドームのグランドにたとえましたので、ドームの幕天井は、「時空」の上に張られている幕天井であることに注意してください。空間のみの上空に張られている曲面ではなく、時間も含めた「時空」の上に張られている曲面なので「超曲面」と言ったわけです。

ドームの幕天井を1時間かけて膨らませたり縮めたりしてみましょう。1時間の間には地球も自転しますので、宇宙から見ると東京ドームの位置も動いています。「時空」の平面の上を時間方向や空間方向に幕天井が膨らんだり縮んだりしながら移動している姿をイメージしてみてください。依然として幕天井の周囲はドームの建物に固定されては居りますが。

午後7時(これを「時空1」と呼びます)から午後8時(これを「時空2」と呼びます)にかけて幕天井を膨らませたり縮ませたりしますと、「時空1」から「時空2」に至るまで幕天井は膨張・収縮しながら時空平面上を移動していきます。幕天井によって覆われる空間も幕天井の移動によって、同じように移動してゆくことになり、結果、「時空1」から「時空2」にいたる間に幕天井が覆い尽くした空間の全体積が決まります。膨張・収縮の仕方によって、幕天井とそれによって覆われた時空上の空間の体積が異なります。そして膨張・収縮の仕方とそれによって覆われる体積は一対一に対応します。そして、この体積を位相とする波を、それぞれの幕天井の膨張・収縮の仕方について、対応させることが出来ます。

この波を、「時空1」から「時空2」に至るあらゆる幕天井の膨張・収縮の仕方について、足し合わせた結果、波が強めあった部分だけが、現象として現れます(残ります)。これが我々が実際に目にする「場」あるいは「場の変動」です。「時空1」から「時空2」に至るにあたっては、ある「時空x」の時に、幕天井が火星まで膨らんでいるという膨張・収縮の仕方をするかも知れません。このとき結果的に覆われた空間の体積は莫大に大きなものになります。また同じ「時空x」の時に、地球のマントルまで凹面上にへこんでいるという膨張・収縮の仕方をするかも知れません。このときもかなり大きな体積を結果的に覆い尽す事になります。そういう膨張・収縮の仕方も存在しないわけではないのですが、背後の波を足し合わせた結果、そのような状態は現れにくくなっており、丁度良いところで膨張・収縮している幕天井のみを私たちは目にすることになります。これが「場の量子論」における「最小作用の原理」で、実際に目にする場(あるいは場の変動)がどのように現れてくるかを表わす仕組みです。

電磁場の話に戻しますと、「物質と反物質の対消滅と対生成」でお話いたしましたように、光は時空の中を球面状に拡がります。しかしこの東京ドームの幕天井のたとえ話のように、球面状に拡がる光(丁度良いところで膨張・収縮をしたドームの幕天井の変動に相当)だけが存在するわけではないのです。楕円状に広がる光(一時は火星まで膨らんだ幕天井の変動に相当)もあり、くらげのようにぐにゃぐにゃと拡がる光(一時は地球のマントルまで凹面上にへこんだ幕天井の変動に相当)も存在します。

しかし、作用を位相とする波の足し合わせの結果、球面状に拡がる

光だけが現象として現れているわけです。

ここで作用を丁寧に計算してあげると、「時空全局的観点」の中でお話した

という作用が出てきます。

この作用を使って、最小作用の原理を適用して、電磁場のエネルギーを計算してあげると、

「物質と反物質の対消滅と対生成」でお話した、

や、「経路積分の運動量・エネルギー表示」でお話した、

の式が出てきます。最小作用の原理を適用した結果がこれらの式ですので、これらの式もただ単に「現れた結果」に過ぎないのです。つまり、これらの式の中には、球面状に拡がる光しか記述されていないわけです。

 

「経路積分両界曼荼羅」の中では、この「現れた結果」に過ぎない電磁場のエネルギーの式の中にさえも、時間空間の畳み込みや、因果律の破れなどが見て取れたため、あまりの驚きのあまり、これらの式を金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅に対応させてしまいましたが、これは、早とちりでした。これらの式は、かなり驚愕の構造をしてはいるものの、どちらも現れた現象に過ぎませんでした。現れた現象を、時間と空間の世界で表わすか、運動量とエネルギーの式で表わすかの違いに過ぎませんでした。

従いまして、これらの式はどちらも胎蔵界かもしれません。

 

これらの式の背後には、さらに、

という経路積分が存在していることを忘れてはならないのです。

そして、この経路積分こそ、全ての存在の根源、金剛界曼荼羅なのかもしれません。

 

今回の考察は、ある真言宗の僧侶の方から頂いた、メールでの質問をもとに、これまでの考えをもう一度考え直したものであることを最後に付記いたしておきたいと思います。