華厳の数論

2005/2/4 華厳の数論(真言宗阿闍梨 小林宗次郎(宗峰)さんより拝受)
華厳経において法蔵は相入と相即についてこう述べている。相入とは一の中に多があり、他の中に一があるということをいい、相即とは一即多、多即一のことをいう。
普通の常識では、一に一を加えると二ができるように考えられるが、それは間違いであり、そんなことはありえない。と言うのは、一に一を加えると、一つが二つ集まったものに過ぎないもので、一つが増えたというだけであり、二という一つの自然数にはならない。新しい自然数は一を足すことによってできるが、単に一を足したばかりでなく、一を足した全体を同時に直感することによって、二という自然数が生まれるのである。それではそのような直感はどのようにして可能となるのか?それは一の中には二ないし十の意義を具有しているから、一がよく二ないし十を成ずることができる。一の中には二・三・四・五が備わっているのである。そこで一といっても、それは二以下と切り離されて単独に存在しているものではなくて、二以下と相対することによって一であるのである。法蔵はこれを「縁成によるが故の一」であるというが、一という自然数、二という自然数が成り立つためには、他の自然数との関係において成り立つのである。しかも一という時には、一の中に他の自然数全体が内包されている。これを相入というのである。
 つぎに任意の自然数の一つを取り出すと、その任意の自然数が自然数全体をあらわし、任意の自然数と自然数全体が相即することを明らかにする。一をたてると、一は絶対の主体となり、二以下は依存従属の関係に入らなければならない。一は有力となり、二以下は無力となる。それによって一即二。一即三。・・・・一即無限数が可能となる。次に二を主体として考えると、一および三以下は二に従属する関係になる。二が有力のとき、一および三以下は無力となり、二の中に吸収される。そして二即一、二即三、・・・・二即無限数が可能となる。このような関係を一即十、十即一、というようにあらわすのが相即ということである。ちなみに華厳では十を円満完全な数、無限数とみなして十銭の喩えを説いたのである。



2005/2/4 華厳の数論の物理的解釈
華厳の数論を、特に「時間」と「空間」に当てはめてお話してみましょう。
 
1月26日のおだやかな午後、沖ノ鳥島で釣りをしているあなたを想像してみて下さい。
 
西にはフィリピン海溝、北には駿河湾、東にはハワイ、そして南にはチリがあります。
これらの場所は何?そうです、地震の多発地帯です。
沖ノ鳥島へは、フィリピン海溝から3時間で津波がきます。
駿河湾からは20分で到達します。ハワイからは8時間、チリからは丸1日かかります。
そして、天災はあなたの知らないうちに起こりました。
チリ沖で1月25日の午後3時にマグニチュード8.0の地震が起こりました。
ハワイ沖では1月26日の午前7時にマグニチュード7.5の地震が起こりました。
そして、フィリピン海溝でも1月26日の丁度お昼にマグニチュード8.5の地震が起こりました。更になんと駿河湾でも1月26日の午後2時40分にマグニチュード9.0の地震が起こってしまいました。
1月26日午後2時45分、あなたは何も知らずに、沖ノ鳥島で釣りをしています。
しかし、刻一刻と津波はあなたのいる場所へ迫ってきています。チリから、ハワイから、フィリピン海溝から、そして駿河湾から・・・。
2時59分、あなたは異変に気がつきます。白い波頭を上げた10メートルを越す波がなんと東からも、西からも、南からも、北からも近づいてきます。
幸い、長いロープを持ってきており、さっきまでスキューバダイビングをしていたので、酸素ボンベも足元にあります。
あなたは、とっさに酸素ボンベを背負い、長いロープで、沖ノ鳥島の頑丈な岩に体を縛り付けることができした。
そして、午後3時、、、
津波があなたに襲い掛かります。背中にものすごい衝撃を感じています。
おなかにもものすごい衝撃です。右腕、そして左腕、もの凄い波のうねりに翻弄されています。
翻弄されるなどという軽いイメージではありません。あなたは死に物狂いで、津波の中で耐えているのです。酸素ボンベから呼吸は確保できています。しかし岩に縛り付けた体も津波の強さで幾度となく、激流に流されそうになります。もうただただ身をませるしかありません。
 
15分後、、、、津波はおさまりました。。。あなたは命からがら助かりました。
海は今起こったことが嘘のようにおだやかです。たくさんのうみねこがあたりを飛び回っています。
 
津波に翻弄されていた「いま」、「この場所」にいるあなたは、何だったのでしょうか。
そこには、「24時間前」の「チリ」の衝撃がありました。「8時間前」の「ハワイ」の衝撃もありました。
「3時間前」の「フィリピン海溝」もあり、「20分前」の「駿河湾」もあったのです。
「いま」、「この場所」に「いくつかの時刻」の「いくつかの場所」の状態が怒涛のように包み込まれていたのです。

突然、沖ノ鳥島は、夜になってしまいました!!。空には満天の星が輝いています。
あなたは、先ほどの経験を思い出しながら夜空を見上げています。

先ほどの経験と似たことが、夜空を見上げたときに、あなたの網膜の中でも起こっています。
夜空の星を構成している電子が揺れると、光がでます。その光が宇宙空間を伝わってきて
網膜の中の電子を揺さぶります。これが、「見る」ということです。
言うまでもなく、星の中の電子が揺れることは、地震に対応し、出てくる光は津波です。伝わってくる宇宙空間は、海で、揺さぶられる網膜の中の電子は、沖ノ鳥島にいたあなたということになります。そして、カシオペアはチリ、オリオン座はハワイ、ケンタウルスはフィリピン海溝、北極星は駿河湾ということになります。
夜空には無数の星々があります。そして地球からの遠さも様々です。また星と星の間の暗いところも、なにも無いわけではなく、宇宙背景放射というビッグバンの時のなごりといわれている光で満たされています。つまり、夜空の暗いところを見ているとき、それはビッグバンを見ているといってもいいわけです。
津波のお話では、「いま」、「この場所」に「いくつかの時刻」の「いくつかの場所」の状態が包み込まれておりました。夜空を見上げるときには、網膜の中の電子は、「あらゆる過去」、「あらゆる宇宙空間」からやってくる光の津波に揺さぶられることになります。
さらに、光の場合は未来からやってくるものもあります(何それ!って驚かれるかもしれませんが。)。地震に例えれば、2時40分に起こった駿河湾の本震と、3時20分に起こった駿河湾の余震とで発生した津波が両方とも3時に沖ノ鳥島のあなたのところにやってくるということが、光の世界では起こっております。2時40分に発生した津波は遅れて3時にやってきますので、「遅延波」と呼ばれている一方で、3時にやってくる3時20分に発生した津波は、未来からやってくる為「先進波」と呼ばれています。
もちろん実際の津波ではこんなことは起きませんが、光や電子といったミクロな世界では、普通に起こっています。
従いまして、夜空を見上げたときの話に戻しますと、「いま」、「この場所」の網膜の中の電子は、「未来も含めたあらゆる時刻」、「あらゆる宇宙空間」からやってくる光の波に結果的に揺さぶられることになるのです。言葉を変えれば、「いま」、「この場所」に「過去も未来も現在も」、そして「全宇宙」が包み込まれているのです。

これが、「時間」や「空間」に当てはめてみた場合の、華厳の数論、一即多の物理的な解釈の例です。光と電子の相互作用における例です。
 
ちょっと、物理っぽく数式を見てみましょう。「いま」、「この場所」の網膜の中の電子の状態は、
∫dr'∫dt'J(r,t)(1/4π|r-r'|)δ((t-t')-|r-r'|/c)J(r',t')
と書くことができます。堅苦しく言えば、光と電子の相互作用における「いま」、「この場所」の作用の密度の式です。ちょっとだけ我慢してください。これを、右から左へ読むのです。
一番右のJ(r',t')は、r'という場所にある星の中の電子がt'という時刻に揺れたことを意味します。
右から二番目の(1/4π|r-r'|)δ((t-t')-|r-r'|/c)は、光の津波です。
r'という場所でt'という時刻に発生した津波が、rという場所にtという時刻に到達したことを表します(これは星の中の電子から球面上に光のスピードで広がってゆく波です)。
そして次のJ(r,t)は、揺さぶられる網膜の中の電子でして、「いま」がt、「この場所」がrということになります。
最後の∫dr'∫dt'は、おまじないのようなものでありまして、全てのr'と全てのt'について足し合わせるという意味です。つまり全ての星の、そしてそれぞれの星の中の全ての電子について揺れた全ての時刻を足し合わせるという意味です。
星の中にある電子達に1,2,3,4,5・・・と番号を付けて、それぞれの場所と揺れた時刻を(r1,t1)、(r2,t2)、(r3,t3)、(r4,t4)、(r5,t5)として、

J(r,t)(1/4π|r-r1|)δ((t-t1)-|r-r1|/c)J(r1,t1) +
J(r,t)(1/4π|r-r2|)δ((t-t2)-|r-r2|/c)J(r2,t2) +
J(r,t)(1/4π|r-r3|)δ((t-t3)-|r-r3|/c)J(r3,t3) +
J(r,t)(1/4π|r-r4|)δ((t-t4)-|r-r4|/c)J(r4,t4) +
J(r,t)(1/4π|r-r5|)δ((t-t5)-|r-r5|/c)J(r5,t5) + ・・・

と書いてもいいのですが、宇宙には無数の星と、星を構成している無数の電子がありますので、いちいち足し算で書いてゆくと紙がいくらあっても足りないので、∫dr'∫dt'というおまじないで代替するわけです。しかし、このように書き下してみますと、イメージがわきやすいです。光と電子の相互作用における「いま」、「この場所」の作用の密度は、あらゆる時刻あらゆる場所との相互作用について、無限回の足し算をしてあげないと求めることができないのです。

tであらわされる「いま」、rであらわされる「この場所」すなわち網膜の中の電子に、「過去、未来、現在」のそして「全宇宙の場所」の星の中の電子の揺れが伝わってきて足しあわされる、つまり包み込まれるわけです。とくに、全部の時間、全部の空間を足し合わせて、包み込むことを、特別に「畳み込む」と言ったりもします。

このちっぽけな瞳の中に、全宇宙が畳み込まれているからこそ、そして、この一瞬の中に過去や未来が引き継がれているからこそ、カシオペアやオリオン座、ケンタウルスや北極星を知覚できるわけです。
これが、光と電子の相互作用の基本構造です。「見る」という事に限ってお話をしていましたが、私たちの営みを物理的に観察してみますと、こういった光と電子の相互作用で表されることがほとんどです。
したがいまして、こういった事が、いたるところで、絶え間なく起こっているのが、「この私たち」、ということになるのです。

。。。。。。

釣竿が、ぴくぴくとひきました。あなたは、はっと目が覚めました。
時計を見ると、ちょうど午後3時です。
1月26日のおだやかな午後のことでした。

目の前には水平線のどこまでもおだやかな海が広がっています。






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