奇跡的な波

奇跡的な波
光の場は、複素平面に垂直に突き刺さった、無限に長いコルクスクリュー(ワインの栓抜き)の集まりに喩える事が出来ます。そしてこれらのコルクスクリューはいろんな向きを向いています。また、これらのコルクスクリューはドリルのようにものすごいスピードで回転しています。
さらに、いろいろなピッチ(コルクスクリューを横から見ると波のように見えますが、その波の山と山との距離。)のコルクスクリューが集まっています。
ピッチが短いほど、ドリルの回転は速く、ピッチが長くなれば、ドリルの回転は遅くなってゆきます。
このようなものが光なので、我々が「見ている」というとき、あらゆる方向から、これらのコルクスクリューに、目を突き刺されているという、ものすごい痛いイメージが、実は「見ている」ということをもっともうまく喩えています。
そして、我々が「見ている」光が、単色光、つまり、ある一つのピッチ(実際には、そのピッチと、それに極めて近いピッチ)で、かつ、穴から漏れてきた光を見ているように、光源と目との方向がある一つの方向(実際には、その方向と、それに極めて近い方向)に決まっている時、我々の目を突き刺しているコルクスクリューは、光源の穴からct(cは光速度、tは光が光源から出てから経過した時間)という距離のところにコルクスクリューの金属の破片を残して、他の部分は一切消えてしまいます。でも、この破片にはコルクスクリューの性質が残っているので、元の回転のまま金属の断片が螺旋を描きながら、私たちの目に向かって飛んできます。
これが、「光の波動性と粒子性、及び波束の収縮についての考察」のところで述べたことです。
あの中で、「球面波の時間微分で表される電場の波(これは平面波である)が、観測することによって、包絡線がデルタ関数の波束に変化した(つまり収縮した)と読めます。」というくだりがありますが、「収縮する前の平面波」は、前半で述べた、たくさんのコルクスクリューの集まりに対応し、「収縮した後の包絡線がデルタ関数の波束」は、螺旋を描きながら目に飛び込んでくる金属の破片に対応します。
そして、この収縮、あるいは、コルクスクリューの破片化がなぜ起こったかを、もう一度振り返ってみると、光を単色光にしたことと光源と目の方向を決めてやったことが原因です。コルクスクリューで喩えれば、コルクスクリューのピッチを出来るだけ揃えてやり、いろんな方向を向いていたコルクスクリューを整理整頓して、向きを揃えてやったことに相当します。ピッチを出来るだけ揃えて螺旋の波を重ね合わせた結果、特定の一部分でのみ螺旋の波が強められ、その他の部分では螺旋の波が一切消滅するということが起こっているのです。
そして、この「収縮した後の包絡線がデルタ関数の波束」は、実は奇跡的な波なのです。
なぜなら、ほとんど単色光で、ある点の近傍にしか存在しないからです。
単色光とは、波長が決まっているということです。光の場合、
光の運動量はp=(h/2π)k=h/λなので、波長が決まっているということは、運動量が決まっているということです。
つまり、この「収縮した後の包絡線がデルタ関数の波束」は、運動量と位置が、ほぼ決まっているのです。
古典的な粒子のイメージに近いとは思いませんか?

数式との対応関係は、以下の通りです。
コルクスクリューのピッチ:電場の波長(λ=2π/k)
コルクスクリューの回転数:電場の角振動数(ω=kc)
コルクスクリューの向き:電場の波数ベクトルの方向(k)、つまり電場の進行方向
コルクスクリュー:exp(ik(r-r')-iω(t-t'))で表わせる平面波(電場そのもの)





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