全体性と内蔵秩序

2003/12/6
全体性と内蔵秩序(デヴィッド ボーム)より

しかしながらこれまでのところ、世界管について首尾一貫した記述ができるかという問題は未解決である。アインシュタインは統一場理論によってそうした記述を得ようとじっさい真剣に努力した。すなわちかれは、全宇宙に広がる一つの全体的な場を基本的なものと考えたのである。この場は、連続的で分割不可能なものである。その考え方によれば、粒子は、全体的な場からのある種の抽象物に過ぎない。粒子は、実際には場の特異点であり、場の強さが極めて強い点である。特異点から離れるにしたがって、場の強さは、弱まっていき最終的には他の特異点の裾野と融合し、区分できなくなる。しかし場は、連続的であり、どこにも分裂や分割はない。それゆえ、こうした考えに従えば、世界が互いに作用し合う区別可能な諸部分に分割できるという古典論的考え方は、もはや妥当でも的当でもない。世界は分割も分断もされぬ一つの全体と考えるべきなのである。世界を粒子に分割すること、あるいは、粒子と場に分割することは、単なる粗雑な抽象に過ぎないのであり、一つの近似である。こうしてわれわれは、ガリレオやニュートンのそれと根本的に異なる秩序に到達する−そしてそれは分割不可能な全体という秩序なのである。(p222〜p223)

なぜならそれは、空間の各領域に存在する光の干渉形状を、比較的永続する「記録文書」として留めることが主要な役割だからである。だからさらに一般的に言えば、そのような個々の空間領域に存在する光の運動は、被写体の構造全体に特有な、秩序や度にかんする厖大な差異を陰伏的に含んでいるのである。そればかりではない。原理的にはこの構造を宇宙全体にまで、そして全過去・全未来にまで拡張することができる。例えば夜空を仰ぐときを考えて見よ。われわれはそこに、宏大な時空の拡がりにわたって見出される多くの構造を識別することができる。だがそれらはあるいみで、眼球で囲まれたちっぽけな空間内の光の運動中にすべて含み込まれている(また光学および電波望遠鏡などの機器を考えてみよ。それらを使えばこの全体に含まれる構造をはるかに多く識別できるが、それらはみなこれらの機器内の空間領域に含まれている)。
ここに新しい秩序概念の萌芽がある。この秩序はたんなる対象や事象の規則的配列(対象がある列をなす、事象が連続継起する等)として理解することはできない。むしろ時空領域のそれぞれに、陰伏的ないみで、全体の秩序が含み込まれているのである。(p257〜p258)

同様に「量子の」文脈でも、われわれが「電子」と呼んできたものに対応する「全運動」の内蔵秩序と、計測機器によって引き上げられ(かつ記録され)る諸特性の内蔵秩序の交点が存在すると考えてよかろう。しかしこのように考えるなら、「電子」という語はわれわれが全体運動(ザ・ホロムーヴメント)の一定の相に着目するための名称に過ぎないと見なされるべきである。しかもそのような相は実験の全状況との関連で初めて論ずることができ、空間中を自律的に運動する局在的対象などという概念によって捉えられるものではないのである。現行の物理学で物質の基本的構成要素と言われるあらゆる種類の「粒子」も、当然これと同様に扱われねばならない(そのけっかそのような「粒子」はもはや独立した自律的存在とは考えられなくなる)。このように分割されぬ全体性という秩序のもとで、われわれは「全てが全てを内蔵する」という物理学の新たな一般的記述に到達するのである。(p267)

アインシュタインはこの「統一場理論」の本質的に新しい点は場の方程式が非線形だったことである。5章で述べたように、これらの方程式は局所化され衝撃波の形の解を持つときがある。つまり強い場の一領域が全体として安定したかたちを保って運動するばあいであり、これが「粒子」の理論模型を与えると言える。(p296)

「内蔵秩序」と「顕前秩序」



2005/9/17
光や音などのさまざまなエネルギーは、そのおのおのの空間領域中に、原理的に全物質界についての情報を包み込んでいる。この包み込みの過程を通して、われわれの感覚器には当然そのような全物質界の情報が入って来、それが神経系を通って脳に到達すると考えてよいだろう。さらに根本的に言えば、あるいみでわれわれの体内のあらゆる物質は、そもそものはじめから全物質界を包み込んでいる。このように、われわれの体内には全物質界とその情報とが包み込まれており、それは脳や神経系の中にも包み込まれているであろう。するとほんらいの意識に現れるものは、そのように情報と物質を包み込んだ構造なのだろうか。(p332)

記録される当の秩序は、じつは光波という形の複雑な電磁場の運動の中に存在する。そのような光波の運動はあらゆる場所にあり、しかもその(時)空小領域の中には、原理的に全時空間が包み込まれている(これを証明するには、それらの任意の小領域に眼ないし望遠鏡を置いてみよ。そこに含まれる内容が「披き出さ」れてくるだろう)。(p302)

(調和振動子を例に取れば、運動定数の値は、マクロなレベルの集団的自由度のエネルギーに比例する。)このことを示すことによって、物質における粒子性と波動性の二重性が説明できるであろう。というのも集団的自由度は、調和振動子のような波動的運動を示すことが既に知られているからである。一般に、集団的自由度が示す波動的運動は、かなり局所化された波束の形を取る。こうした波束のエネルギーや運動量などが不連続量になっているならば、こうした運動は、粒子の持つすべての本質的特徴を高次のレベルにおいて示すことになるであろう。しかしこうした運動は、内的には波動的運動を持ち、運動の微細な構造を調べることのできるような観測装置に対しては波動性を示すであろう。(p172〜p173)





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